このたび、国宝となった松江城がとりあげられる予定です。
皆さま、ぜひご覧下さいませ。
第234回放送予定
2015(平成27)年10月28日(水)
NHK総合、午後10時~午後10時43分
歴史秘話ヒストリア
「今年 国宝に!松江城 物語(仮)」
松江城が国宝に指定されました。
その理由といきさつについて、
ただ今、松江歴史館の特別展にて紹介されています。
●特別展「祝・国宝指定 松江城天守 再発見」
日程:2015年9月19日(土)~2015年11月18日(水)
*休館日10月15日(木)
時間:午前8時30分~午後5時(入館は午後4時30分まで)
場所:松江歴史館 企画展示室
島根県松江市殿町279
ギャラリートークなどのイベントもあります。
また、図録も販売しているところです。
松江城とあわせてぜひ足をお運び下さいませ。
▽国宝 松江城ホームページ
旧田野医院(苧町)の利活用策を策定するため、
幅広く意見をいただきたく
ワークショップ参加者を募集します。
応募多数の場合は抽選。応募者全員に結果通知します。
お申込方法
締切:8月21日(金)必着
(1)はがき
〒690-8540 松江市末次町86番地
(2)FAX
55-5658
(3)Eメール
machi-bun@city.matsue.lg.jp
まちづくり文化財課歴史まちづくり係まで
まちづくり文化財課
TEL:55-5956
FAX:55-5658
旧田野家医院建物見学会の参加者を募集しています。
(「市報 松江」124号 2015(平成27)年7月より)
→旧田野家医院について(松江建築研究会主催)
弊ブログ「松江建築研究会」2014年12月30日更新
日程:2015年7月26日(日)
時間:午前10時~12時
定員:50人
応募多数の場合は抽選いたします。結果は全員に通知します。
参加費:無料
締切:2015年7月14日(火)必着
お申し込み方法
住所、氏名、年齢、電話番号を明記のうえ、
下の(1)~(3)のいずれかの方法で
まちづくり文化財課まちづくり係あてへお申込みください。
(1)ハガキ
〒690-8540
島根県松江市末次町86
まちづくり文化財課まちづくり係 あて
(2)FAX
0852-55-5658
まちづくり文化財課まちづくり係 あて
(3)E-メール
machi-bun@city.matue.lg.jp
まちづくり文化財課まちづくり係 あて
→市史講座第11回ミニレポートのページ
松江市より掲載の許可をえております。
→松江市史講座のページ
日程:2015年2月21日(土)
時間:14:00~16:00
会場:松江市総合文化センター(プラバホール)
2階大会議室
島根県松江市西津田6-5-44
→交通のご案内ページ
講師:和田 嘉宥 先生
(米子工業高等専門学校名誉教授)
講師:常松 隆嗣 先生
(関西大学講師 )
当日、松江警察署の再建のための寄付を募ります。
(1)ご住所(2)お名前(3)連絡先電話番号を、
史料編纂室(電話55−5388)までお知らせ下さいませ。
受講希望のご連絡は不要です。
第1回目として、今度、田野家住宅の見学会を企画しました。
田野家住宅(旧田野医院)は、松江市苧町にいわゆる洋風建築の洋式を兼ね備えた木造2階建て建築です。この建物は明治6(1873)年に創設された私立苧町病院であると考えられます。明治6(1873)年の建築が事実としますと、医院建築としては現存する日本最古の遺構となります。
苧町病院として使用されていたこの建物は明治19(1886)年に田野俊貞博士が所有し、安仁堂田野医院として開設されました。この医院は産婦人科医院として長く親しまれてきましたが、長崎で被爆し、原爆と戦い、被爆者を救護し続けた故永井隆博士がここで誕生したという歴史のある建築でもあります。
現在、この建物は松江市の所有となり、市の有形文化財にもなりましたが、一般公開は初めてです。明治初期の建築がどのようなものであったかをみるのにいい機会でもあります。これまでの調査結果を説明しながら見学していただきます。
概 要
期 日 2015(平成27)年1月31日(土)
時 間 受付13:00より
見学13:15~15:30(予定)
1.松江藩の洋医学と苧町病院の開設 | 和田 嘉宥 |
2.田野家住宅(旧田野医院)の特色 | 安高 尚毅 |
3.田野医院と永井博士の関わり | 竹永 三男 |
説明は、2階で行います。
暖房がありませんので、十分に防寒の対策をおとり下さい。
費 用 無料
松江警察署の再建のための寄付金を募ります。
ご協力をお願いします。
申し込み 不要
お問い合せ 足立(0854-27-9302)
駐 車 場 松江市役所駐車場
▽田野家住宅 2005年3月23日撮影
▽田野家住宅 2014年12月23日撮影
そして平成26年(2014)正月になってこの建物が解体されるという知らせが入りました。それでも大正時代のものであるなら、壊される前に調査はしておこうということになり、松江市文化財課が企画して、建築士会と市の文化財関係者で調査を行いました。
その結果は驚くべきものでした。確かに大正6年に雑賀幼稚園として使われ、その写真も残っています。しかし、内部を調査して見ると、幼稚園にはそぐわないような、蹴上(けあ)げの高い階段や装飾、そして玄関に当たる扉上部の半円の欄間窓には、明治時代の特徴ともいえる意匠が施されていました。
その窓の意匠は松江の城山内にあって、明治36年(1903)に皇太子行啓の宿舎として建てられた「興雲閣」の窓上部の意匠とも一致しました。また、所有者への聞き取りでは、この建物が元は警察署であったという情報が得られ、決定的な証拠として、建具(襖)の下張書類の中から明治初期の警察関係の書類が多数発見されました。この中には罪人の持ち物などを記したものもあり、門外に出しにくい書類でした。
明治11年(1878)に県庁は新築され、その後2年を経て警察署も独立したことになります。その初代警察署の写真が残っていて、それを詳細に調べると形も窓の大きさ、位置もほとんどが北この建物と一致しました。明治13年建築ということは、日本中を見ても最も古い警察署建築となります。
現在最も古いとされているのが、埼玉県の旧本庄警察で明治16年(1883)建築です。そして、公共建築としては島根県で現存する中で最も古い近代建築となります。それだけでも重要性はお分かりかと思います。
しかしこの北辰堂(旧松江警察署初代庁舎)は民間の所有であり、すでに近いうちに取壊されることが決まっていました。これを壊すことを告知してくれたのは、新たに所有者となった不動産屋さんの好意でした。
しかし解体も間近と言うことで、(一社)島根県建築士会はじめ、まちづくり塾、JIA、島根史学会、建築学会などが動きました。雑賀町の町内会なども連動し、松江市に対し保存の要請を行ってくれました。
松江市も当初保存に対し前向きとは言えないものでしたが、この建物が警察署としては日本一古い建築だということ、島根県の官庁建築としても最も古いということが明確になり、松江市が調査のための解体に対し、予算を計上することとなりました。
突然のことであり、古い建築の保存に対しては必ずしも万人の理解を得ない状況にあって、松江市の決断は称賛に値するものでありました。これからの文化財建築の保存にあっても、今回のことは影響を及ぼすことになるでしょう。
ブログ更新しました / 2016年度 歴史学研究会大会 書籍展示: https://t.co/GNQeI3u5M6 5月28日(土)・29日(日)、今年度は明治大学駿河台キャンパスで弊会の報告書などを販売します。ぜひお越し下さいませ
— 松江建築研究会 (@matsueken) 2016年5月13日